ホームスクーリングをしていて
自分の社会軸と自分軸が
どんな風に育ってきたのかが
振り返れている^_^
きっと人は
自分軸とあまり離れていない社会軸の中で生活している方が生きやすいだろうなぁと思ったり。
自分の当たり前が
みんなと近い
同じ言語
同じような習慣
似てるバイブス
今私の生活している環境の当たり前は
私が育ってきたものとは違うし
スッと馴染めるものと
馴染めないものはある。
自分と他者の双方が
本質的に大切にしていることを
尊重し合える世界でありますように。
さて、
私は「怒らない」という印象を持たれやすいけれど
家では子供達相手に結構怒っている
だけど
結構戸惑いながらしつけをしているのは確かだw(なんか私らしくない〜)
なんでだろうなぁと考えてみると
私は学校で怒られたり
外で怒られたことはあるけど
家庭内では怒られる場面が少なく
周りの体験談と比べるに
躾をそんなに受けていないみたいだw
私の中で
周りに迷惑をかけないようにする行為は
「怒られるから」やらない というより
「困らせたくない」「大切にしたい」から
やらない の方がしっくりとくる。
多文化の中に身を置いていると
自分の「当たり前」を客観的に見る癖もつく。
いつの間にか色々を
「あ〜 文化の違いだなぁ」と
あえて突っ込まずに済ませてしまう。
だって
お互いの意見を主張しあっている姿って
喧嘩しているみたいで
子供の頃から苦手だった。
「フランス人はこうだ。
日本人はこうだ。
アメリカ人はこうだ。
ポルトガル人はこうだ。」と言っている・・・
「わ〜 豊かだね〜」で済む話ならいいのだけど
皮肉を言う人の印象が強くて
「あ〜またか〜 もういいよ〜。
はい、文化の違いっ」と
ヒートアップする前にさっさと離れるw
そうしてきたことで私は
主観的に「怒る」という行動に至りにくい氣がしている。
感情輸入もしやすいので
「怒り」をぶつけてくる人がいてひどいことをされても
怒りはその人に跳ね返っている氣がして
こちらも痛いけど相手はもっと痛いんじゃないかと思ったりする。
近くにいると大変だなぁ。私は違うことにエネルギー使いたいな〜 ってなって
結局私にできることは
「好きじゃない」と態度で示すことくらい。
今まではそれで十分だと思っていた。
だけど子供達に
こんな時にママならどうする?
と具体的な意見を聞かれたり
自分の意見を示さないと進まないことがあると
自分軸も他者軸も
もっと成熟させていきたいなぁと感じる。
私は「人」としてどうありたいのか
改めて考えさせてもらっている。
この社会でも
あの社会でもどちらでも楽しく生きていきたいと思うと
学ぶことがグンと増え
それはそれで楽しいのかもしれない^_^
相手と自分にある「ギャップ」
違う視点から見る力
そこも尊重できる力
自分を表現する力
自分軸が豊かで
社会軸も豊かとなる生活の仕方を
コロナのあれこれはあっても
子供達と歩んで行けたらいいな。
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